こども家庭庁は無能ではない――それでも解体が合理的だと判断する理由(The Children and Families Agency Is Not Incompetent — Why Dissolution Is Still the Rational Choice)

さて、私は既に『少子化対策』について書いた記事と、現代の少子化問題に対する理解がどうズレているかについての記事を出しているわけだが……

こうなると一つの疑問が浮かぶ。

それは『子ども家庭庁』を存続させて少子化対策にあたらせるべきなのか、それとも解体してしまった方が良いのか、という疑問だ。

結論から先に行こう。

子ども家庭庁は解体した方が良い――というか、少子化の解決を考えるなら解体するしかない。

理由は極めてシンプル。

それは少子化解決に必要な権限が、明らかに子ども家庭庁の範疇を逸脱するから、である。

少子化が発生した理由は、社会の制度設計ミスである。

ならば、少子化対策は『社会の制度設計』でやる他ない。

なのに、子ども家庭庁は社会の制度設計に手を出す権限を持っていない。

子ども家庭庁の権限は、予算を与えられてその予算をどう配分するか、に限定されている。

問題は上流にあるのに、一番下流でそれに対応せよ、というのが子ども家庭庁に与えられた指令なわけだ。

これは、川の上流で川に流し込まれている汚染物質を、川に流される前に止めるという対応をさせずに、下流で対応して水を浄化せよ、と言っているに等しい。

はっきり言って能率が最悪に悪い。

ならば社会制度を変える『少子化対策』と、現状の『子育て支援』に仕事を分けて、子ども家庭庁は子育て支援に集中すれば良いのでは、という考え方も出来なくはないが……ハッキリ言って無駄だ。

両者は互いに関連させて制度設計した方が良いのに、それを分けるというのは、ピアノの鍵盤の白鍵と黒鍵を分けて、左に白鍵52鍵、右に黒鍵36鍵をそれぞれ集中配置するようなものだ。

そんな作りのピアノが優れているというピアニストは、世界に一人だって存在しないに違いない。

 

しかも悪いことに、効果の無い場所に設置したにも関わらず、子ども家庭庁が『存在する』という事実だけで、政府は『少子化対策を行っています』という結果の出ないアピールだけは出来る。

結果が出ないのは『子ども家庭庁の対応が悪いから』と言ってしまえば良いのだ。

けれど子ども家庭庁は、先ほども言った通りその仕事を実行するための権限も与えられていなければ、権限無しで仕事を完遂できるほどの予算も与えられていない。

こうして出来上がるのが、政府には権限も予算も足りないのに『成果を出せ』と言われ、国民にはその巨額予算から『成果を出せない無駄組織』と扱われるサンドバッグである。

 

――と、概ね『なんで解体した方が良いか』は書いてしまった気がするが、ちょっと字数が寂しいので、もうちょっと具体的に見ていく事にしよう。

 

権限の無い仕事を要求される子ども家庭庁

まず一番可哀想なところから行こう。

それはずばり、『権限のない仕事を要求されている』ことだろう。

子ども家庭庁には7兆円という一見膨大な予算がついている。

ようは、この予算で仕事を完遂せよ、というわけだが……そもそも少子化問題の本質は、以前も書いた通り『政府が子供を必要としない社会設計をした』ことによる。

つまり政治という最上流の社会設計ミスだ。

ここで、すこし『少子化対策・子育て安定』に必要な社会改革を見てみよう。

 

・雇用の安定性   →  管轄外

・キャリアの断絶  →  管轄外

・教育制度改革   →  管轄外

・将来不安(年金・財政) → 管轄外

 

うん、お金があればインフラは整備できる、人を雇用することもできる、だが少子化・子育て安定に必要なのは『国民生活の安定』と『子供が必用になる制度設計』だ。

子どもが必用になる制度設計は完全に管轄外、国民生活の安定も7兆円の予算で出来る事ではない。

というか『税金は国民から集める物』という次点で、『国民生活を税金を配って生活を安定させよう』というのは発想が破綻している。

政治家は子ども家庭庁に何を求めているのだろうか?

正直私には、『解決策が見えないから、取り合えず責任の押し付け先を作った』ようにさえ見える。

無論、政治家にそこまでの悪意は無いだろう。

単に『どうしたら良いか分からないから、とりあえず専門部署を作った』だけに違いない。

だがそれは、他人に任せることの出来ない政治家の仕事である。

予算を付けて行政に丸投げするのは、ぶっちゃけサボりに等しい。

少子化問題程度、『政治課題解決のチュートリアル』と私は整理しているが……そもそも他人に任せているのでは、そりゃあいつまでたってもチュートリアルを突破できないに違いない。

 

『足りる予算』とはどれくらいか?

さて、私は子ども家庭庁のポジションを『能率が最悪に悪い』とは言った。

だが、『能率が悪い』とは裏を返せば『悪い能率を押し返すくらいの予算』があれば、問題の改善も可能である、という事になる。

では、ちょっと雑にはなるが、『どれくらいの予算』があれば子ども家庭庁は少子化を改善できるか、について少し考えてみよう。

まず、維持したい人口を設定する、日本ならとりあえず1億2000万人にするのが良いだろうか?

そして久々の『人口円柱モデル』に当てはめる。

問題は『子供』をどこの年代に設定するかになるが……今は18歳で成人とみなされる。

とはいえ学生はまだ親が面倒を見る範囲、という事で高校卒業の節目でもある18歳までを子供、そこから先を大人という事にして考えよう。

人口円柱モデルは、理想の人口分布として『生まれた時から90歳の老衰まで全員が天寿を全うする』というモデルなので、すると、人口の約21%強が子供という事になる。

よって、『子供の数』は2520万人だ。

AIによると一般的に子供一人当たりの養育・教育には2000万~4000万かかると言われているらしい。

ここは間を取って3000万にするとして……3000万を0歳から18歳までの19年で割れば158万円程度。

よって、子ども1人当たりの年間費用は約158万円(月々約13万円強の支援金)という事になる。

すると子供が2520万人なら、年間に子どものために消費される費用はおよそ39兆8千億円。

つまり、『親が概ね費用負担なく子供を育てる』ためには、子ども家庭庁の予算は“子育て支援”だけで年間約40兆円が要求されることになるわけだ。

これは計算過程から分かる通り、保育園・学校・医療・インフラの新設・維持を含んでいない。

つまり

  • 保育士の待遇改善
  • 保育園・学童の増設
  • 教育現場の人件費
  • 医療・発達支援
  • 行政運営コスト

こういったコストを載せれば当然更に上乗せが入る。

多少は親に負担を求めたとしても、子どもが増えればそれらにかかる費用も当然増える。それらに今までのような補助を出すとして、他に乗っかる費用を考えれば、制度改革をしないまま子供家庭庁に丸投げして少子化対策をさせた場合、年間の要求予算はザっと50兆円と言ったところだろうか?

うん、『能率は最悪に悪い』が、能率が悪いだけで不可能というわけでは無い。

問題は、『少子化問題をどう解決したら良いか分からない』という政治家の横着のために、毎年50兆円の予算が組めるか否か、である。

なお、これで『どこまで少子化が改善するか』と言われると、かなり高確率で回復するとは考えられるが、その実未知数だったりする。

何故なら、子ども家庭庁に出来るのはここまでの予算を与えられても『子供を経済的負担なく育てる』ところまでで、『積極的に子供が必要になる社会』は作ることが出来ないからだ。

それに、年間50兆円の予算を組むという事は、もし税金で賄うのであれば子供も含めた全国民で計算しても一人当たり年間42万円弱の税金を徴収するという事になる。

子供は当然払えないから当然親が、となると支援の意味がないので、子育て世代は減税されるとして、その不足分は『育ててない人間』にかかることになる。

これは当然、子供が作れない高齢者だけではなく『将来的には子供を作るかも知れないが、今はまだ子供がいない』人間も負担することになるだろう。

子供を作れば減税されるわけだが、実際にその時点で生活に余裕のない人間が、『子育て』という労力の増加をどう判断するかは未知数だ。

当然『積極的に子供が必用になる動機』を作ることも不可能ではない……さらに補助金を上乗せして、子供を産み育てること自体が家計収支としてプラスになるようにすれば良いのである。

つまり『子供支援』ではなく『出産・育児』自体を労働とする設計だ……となればまた予算がかさむ……

子供家庭庁の予算が5兆円だ7兆円だ、しかも少子化に改善効果は出ていない、と問題視されるが、これはザックリ計算であるにしても、そりゃあ、10兆円未満ぽっちの予算で少子化が改善するわけがない。

『制度設計の問題』を能率最悪の『現場対応』で解決させるというのはこういう事だ。

予算を見れば、こんな難しい問題が解決できるわけがない、と思うかも知れない。

だが、そもそも世界で問題になっているのは人口爆発の方で、少子化は先進国の病気でしかない。

何でこんなことが起きるのか?

問題解決の仕方をそもそも間違えているからだ。

 

今の子供家庭庁を、スキー用品専門店で例えてみよう。

品は良品、店員も有能、店だけ見たら繁盛間違いなしの優良店――ただし出店場所はハワイビーチ。

売れるわけがない。

この店が繁盛するとしたら、それはもう怪奇現象か客が脅迫されているかどっちかだ。

誰が悪いのか?

頑張って良い品を仕入れて丁寧に店舗経営している店員か? ハワイビーチでスキー専門店に入る気がしない客か?

いや、そんな場所に出店を決めたオーナーに決まっている。

しかもこのオーナー、自分では『スキ―専門店を経営してスキー振興に努力している』と言いつつ、客が来ないのでスキー場はしめていくのだ。

スキー場は何のこと? と思う人もいるかも知れないので補足すると、この場合のスキー場とは『子供を必要とする社会』の事である。オーナー(政治家)は子供を必用としない社会の構築を目指しているので、それはこの例えなら『スキー場の閉鎖』という事になるわけだ。

無論、社会を構築するのに子供は必須なのに、子供を必用としない社会を目指すって何のこと? と思う人もいるかも知れないが‥‥‥子供が社会の継続に必要なのは政治家の判断とは無関係の『単なる事実」だ。だから減ってるとなれば困る。

だが、政治家は『子供がいなくなると困る』と理解しながら、社会制度は『子供を必用とせず、大人だけで維持できる設計』を目指している。

つまり政治家は、『子供を必用としない社会』を目指しているのである。

 

こども家庭庁とは何なのか?

ここまでくると、なら子ども家庭庁は何なのか? と考える人もいるだろう。

結論を言えば、あれは『政治家の怠慢の象徴』である。

自分たちでは解決が思いつかなかった問題を、予算つけて問題ごと切除して子ども家庭庁という『箱』を作った。

後はこう言えばよい。

『専門の省庁を作って対応しています』

『現場が頑張っている最中です』

『担当は子ども家庭庁です』

解決できなかった問題の、便利すぎる『盾』というわけだ。

無論、はじめはそんなつもりは無かっただろう、予算を付ければ解決する問題だと信じていたはずだ。

実際、私も30年前、少子化が問題だと騒がれだした中学1年生の頃は、お金をだせば解決する問題なのだろう、と思っていた。

誰でも思うことだ。

だが本来は、

1.金を配る

2.効果を検証する

3.「あれ、効かないぞ?」

4.原因を再分析する

5.構造に手を入れる

という手順で問題に気付き、修正を入れて解決に向かわねばいけないところで、実際に起きたのは、

1.金を配る

2.効果が薄い

3.「まだ足りない」

4.もっと配る

5.専門部署を作る

6.それを30年繰り返す

これである。原因の再分析も反省も入ってない。これを30年繰り返すのを“怠慢”で済ませるのだから、私のオブラートも中々分厚い。

要するにこれ、『間違いを認められない』組織論の欠陥なのだ。

政策の失敗を認めると前任者の否定になる、それをすると組織の正当性が揺らぐ、だから『やり方が足りなかった』に逃げて、同じ発想を毎年豪華にしてだし直す。

まぁ、求められてる予算は“この方法では”50兆円なので、豪華さは全然足りないわけだが‥‥‥

そして組織を巨大にしてしまえば、逆に政治家は安泰になる。

『努力はしている』と主張できるし、『担当部署がある』も通りやすくなるし、成果が出ていなくても『規模が大きく複雑な利益構造』を持つから潰すことも難しい。

その構造が膨らみに膨らんで、今や防衛相とも比較しうる巨大組織――政治家の怠慢おそるべし。

よって詰まるところ、巨大な子ども家庭庁とはそのまま――

 

『政治家の怠慢の象徴(省庁)』

 

という事が出来るわけだ。

『政治課題解決のチュートリアル』は、当然だが『政治的に解くべき問題』になる。

子ども家庭庁という箱に丸投げしても解決しない、という事はいい加減気付いた頃だろう。

だから目の前の怠惰を継続すべく、移民政策なんて見た目だけは簡単なことを考え始めた。

いい加減政治家は、問題の構造を分析し、発生源を特定し、それに対応するという本来職務に戻るべきなのである。

 

まとめ

正直、『子ども家庭庁という組織を純粋に評価せよ』という話になれば、私はこれに高得点を付ける。

一見巨大予算だが、私の感覚からすれば全然足りない予算で、子育て家庭に給付して、保育施設を支えてを両方やっている。

ただ肝心の『成果』が出ていない、というだけの話だ。

うん、『良くやっているから潰すべきでない』という意見も、

『成果が無いなら潰すべきだ』という意見も、双方納得はできる。

だがそれは『子ども家庭庁という組織』だけを見た場合の評価である。

先程のスキ―専門店の例えの通り、子ども家庭庁はそもそも『仕事が成立しない場所』に作られている。

品揃えも店員の能力も関係ない、常夏のハワイビーチで経営しているスキ―専門店は、合理的に考えるなら潰すしかないのである。

無論、子ども家庭庁の予算に支えられている世帯や業界はあるだろう。

だが、その支援はそもそも子ども家庭庁として予算と合わせて分離しなくても、政治家と行政の判断で出来る事だ。

給付金の度に省庁が増える、なんてことは無いのと同じである。

わざわざ子ども家庭庁という箱にして分離している利点は、先ほど言った通り政治家の盾になる程度しかない。

政治家が本来業務に取り組み、真面目に課題解決に取り組むようにする為には、政治家から責任を切り離して作られる組織は不要なのである。

 

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📘AI共読のススメ

本記事は『組織の置かれている環境分析』という通常では行われない思考を行う内容となるため、一般的には不慣れな理解を要求します。

できるだけ比喩等で馴染み易くしたつもりですが、疑問・質問等がありましたら、AIに相談することをお勧めします。

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質問例

・この記事を要約してください。

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/02/05/100036

 

・子ども家庭庁は多くの複雑な仕事をしていると思いますが、この記事の作者はそれを簡略化しすぎではないでしょうか?

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/02/05/100036

 

・この記事は子ども家庭庁の権限の範囲で少子化を解決することは困難だと言っていますが、本当にそんなに困難なのですか?

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/02/05/100036

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/01/24/180538

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/01/29/174019

 

・子ども家庭庁では少子化を解決できないのに、政治家ならできるという主張はなぜ発生するのでしょうか?

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/02/05/100036

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/01/24/180538

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/01/29/174019

 

・この記事の主張を前提にすると、「子ども家庭庁を残したまま改善する」現実的な方法は存在しますか?

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/02/05/100036

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/01/24/180538

https://circulation-thought.hatenablog.com/entry/2026/01/29/174019